静岡県牧之原市にある川崎幼稚園で河本千奈ちゃん3歳をバスに置き去りし熱中症によって死亡させる事件が発生しました。当時運転してた園長兼理事長の増田立義73歳の自宅や家族(息子)・経歴について調査しました。
増田立義園長の自宅「川崎幼稚園の駐車場とは真逆の位置か」
静岡県牧之原市にある川崎幼稚園で河本千奈ちゃん3歳をバスに置き去りし熱中症によって死亡させる事件が発生しました。当時運転してた園長兼理事長の増田立義73歳の自宅や家族(息子)・経歴について調査しました。
下記画像が増田立義園長の自宅です。ボンボンと文春オンラインには書かれていたので、家はかなり豪邸かと思っていましたが、かなり古い感じの一軒家です。見た目は古いが敷地が相当広い可能性もあります。年齢は73歳ということもあり、住居に関してはそんなに重要視していない(お金をかけない)のかもしれません。
園長の自宅は川崎幼稚園の近くにある可能性があります。ニュースを確認する限り、増田立義さんは歩いて川崎幼稚園に来ています。細い路地などを熟知していることから川崎幼稚園周辺に住んでいる可能性が高いです。
タマキという店の駐車場の細い路地をなんの迷いもなく進んでいます。そしてデイリーヤマザキなどが近くにありました。川崎幼稚園の駐車場から歩いていると思っていましたが、地図で確認するとまったく逆方向からでした。
青色に囲んだところが、増田立義園長が歩いてたところです。黄緑が川崎幼稚園、赤色が川崎幼稚園のバスが止まっている駐車場です。増田立義園長は駐車場とは真逆の方向から川崎幼稚園へ歩いて行っていました。職員駐車場が歩いたところにある可能性もありますが、自宅がこの近辺にある可能性も十分にあると考えられます。
追記:増田立義園長と同姓同名の人が、静岡県牧之原市白井に住んでいることがわかりました。
1つ目は川崎幼稚園の住所で2つ目が自宅の住所だと思われます。
増田立義園長の父親はお茶工場もしていたということで近くには、お茶の工場がありました。そして自宅はその付近にありました。かなり広い土地だということがわかります。ソーラーパネルもかなりついていることから、必要とする電力が大きいと見られます。増田立義さんの自宅はおそらくここで間違いないでしょう。
今回の調査で増田立義園長の自宅・住所を特定することはできませんでした。引き続き調査していきます。
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増田立義の家族や息子「父親は増田秀夫、息子は増田太郎か」
川崎幼稚園バスに置き去り事件で当時運転していた増田立義さん73歳。増田立義の家族や息子について調査していきます。
増田立義は昔らお金持ちの家系であった。いわゆるボンボンである。増田立義の父親は、幼稚園の他にもお茶の工場を経営するお金持ちだったという。父親は海軍兵学校の出身で、予科練の帽子を被り、竹刀を片手に『親を大事にしろ』『いじめはダメだ』と子供たちを厳しく指導していました。その後継ぎになったのが増田立義だった。
川崎幼稚園の概要をみると、昭和51年4月に川崎幼稚園 設置者兼園長 増田秀夫 という名前がありました。また、昭和55年8月に初代理事長 増田秀夫と名前があります。おそらく増田立義さんの父親ではないかと推測されます。
また、増田太郎事務長さんという方がテレビのインタビューに答えていました。同じ増田という苗字ということもあり増田立義さんの息子ではないかと考えられます。増田一族は、全員幼稚園関係者なのかもしれませんね。
増田立義さんの母親については現在のところ不明です。増田立義さんの家族について引き続き調査していきます。
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増田立義理事長の経歴「もう一つの顔」
増田立義73歳の園長略歴が川崎幼稚園のホームページに記載されていました。そちらを元に調査していきます。増田立義さんは、昭和24年に生まれました。出身は不明です。子どもの頃からズボラな性格だった。水戸黄門の「うっかり八兵衛」ならぬ「ええかげん(いい加減)八兵衛」と呼ばれていたと、文春オンラインが報じました。父親と違い増田立義理事長は、芯がまったく無い性格だったという。口癖は『俺は知らない』『そんなことは言ってない』。いい加減な性格。子ども頃のあだ名は「ええからげん八兵衛」だったという。
- 小学校・中学校は現在のところ、不明です。
- 昭和43年に静岡県立榛原(はいばら)高等学校卒業
- 昭和47年専修大学経済学部卒業
- 平成11年に浪速短期大学 通信教育学部 保育科(現在の大阪芸術大学短期大学部)
2002年に川崎幼稚園の園長に就任した増田立義園長は、近隣の幼稚園を買収するなど経営拡大に熱を上げていた。だが手を広げすぎるあまり、肝心の子供の扱いや園の管理がなおざりになるのではないかという懸念の声は少なくなかった。
さらに近隣の幼稚園をどんどん自分の傘下に収め、ついには隣町の幼稚園まで傘下に入れようとしたという。まさに独占欲が強い人物だったという。隣町の議員が「そこまで買収やらなくていいんじゃないか」と怒ったことも過去にあったようです。市議会や役場の職員のなかでも、あんなに傘下を拡大して大丈夫であろうか。人が足りなくなるに決まっていると不安視されていたようです。ボンボン気質の増田立義理事長は、地元の議員を上手く手のひらで転がし認められたという。
つづく・・・
コメント
コメント一覧 (3件)
理事長を筆頭に、保母さんを含め、すべて幼稚園児を見守る能力ゼロと判断されます。 二度とこのよなかわいそうな事故を起こさないために即廃園をお勧めします。
頑張って特定してくれ
絶対許さねえ
今回の関係者は全員人殺しです。
その罪を一生掛かって償って欲しい。
余りにも悲惨で残酷な事件です。