2019年に道志村キャンプ場女児行方不明事件が発生して約2年半という月日が経ちました。未だに発見されない小倉美咲ちゃん当時7歳。椿荘オートキャンプ場女児不明事件が発生した場所の地図や小倉みさきちゃんらしき人骨や衣類の遺留品の発見現場を調査。
道志村キャンプ場女児不明の真相「行栄不明ではなく遭難した」
道志村キャンプ場女児不明になり母親が犯人ではないか父親が犯人ではないかなど様々な噂が飛び交っていました。事件発生から2年半が経った2022年4月23日事件が急に動き始めました。人間の子どものような骨が発見されそして次に小倉みさきちゃんが当時履いていた靴や靴下などが見つかっていきました。何者かによって誘拐されたなどという考察もありましたが事件ではなく事故の可能性が高くなってきています。これは行方不明ではなく小倉みさきちゃんは単純に山で遭難したのではないかと考えたる人が多くなっていた。

近所のお風呂屋さんでテレビを見ていた老人が小倉美咲ちゃんの母親のとも子さんが犯人ではないかと推測している一方でツイートしている人は、犯人は他にいるのではないか。もし母親が犯人であれば大げさなくらい公の場で泣きまくるはず。小倉とも子さんはむしろ精神的にやられている顔をしていると思う人も中にはいるようだ。本当に探しているからこそ約2年半という年月が経っても小倉美咲ちゃんを本気で探しているという現れではないでしょうか。

小倉美咲ちゃんが行方不明になってから警察などが捜索したエリアは西の森方面に集中しており今回の人骨や運動靴、衣類などの発見は東の森です。そして、小倉美咲ちゃんの写真が公開されたのは行方不明になってから10日後のこと。少し捜索に出遅れた感じてはある。

小倉美咲ちゃん遭難事件について何かわかり次第追記してきます。また、道志村キャンプ場女児不明事件についての関連記事が他にもありますので是非ご覧ください。
小倉美咲ちゃんの当日の服装「似たような服が次々と」道志村女児行方不明事件
道志村キャンプ場女児不明場所地図「小倉美咲ちゃんの足取りと遺留品発見現場」
道志村キャンプ場女児行方不明事件が起きた場所の地図を見ていきます。ネット上にわかりやすく紹介した記事がありましたのでこれを利用してご紹介していこうと思います。
小倉美咲ちゃんの関連記事でも紹介しました地図ですが、約2年半かけて約1500名の人が捜索した範囲が黄色枠です。行方不明地点のピンク色から西に向かって捜索範囲を広げていったそうです。遺留品が見つかったのは赤色の枠です。母親らの証言をもとに捜査をしたためこのような捜査網になりました。
そして沢に向かう道中に山へ登る一本道がありその道を進んでいったと考えられる。そして200~300メートル登ったところで、何らかの理由で転落し枯れ沢に落下。普段は水などがありませんが台風などの影響で雨水がたまりある程度の量に達すると下の沢に流れ落ちるようになっているようです。2半年のうちに台風や豪雨などの影響で遺体が下流に流れ落ちていった。また、動物たちが運んだという可能性もあります。
小倉美咲ちゃんは、虫や動物そして草花が大好きで好奇心がある少女でした。下記画像でも地面に座り込み何やらやっている様子がわかります。昆虫や草花といったものがあり観察していたのかもしれません。興味本位で一本道を進んでいった可能性が高いと考えられます。
小倉美咲ちゃん霊視で犯人特定「愉快犯のしわざか」道志村女児行方不明事件
小倉美咲の父親が出てこない「手にあるはずの物がない」道志村女児行方不明事件
小倉美咲さん事件の犯人は結局誰なのか!?道志村キャンプ場女児不明事件
つづく・・・
コメント
コメント一覧 (1件)
私も遭難が有力と思います。
状況
・みんなと午前中遊んでいた椿沢上流(砂防ダム側)に向かったのは15時40分
・親たちが子供を向かに行ったのは10分後の15時50分
・大室北尾根は9月でも16時半には薄暗くなる
・当日の日の入り17時40分
・2015年9月21日、月の出11時23分、月齢6.8日、月相半月
(月のない山中は自分の手のひらも見えない漆黒の闇)
・翌日雨
勝手な妄想考察
1、15時50分:午前中みんなと遊んでいた沢に向かったがだれもいない(みんなは下流側)、上流砂防ダムの手前に林道への橋があり林道に上がって100m進むと親たちのキャンプ場すぐ裏手にでる(話し声も聞こえる距離)そこのヘアピンに大室山への看板(ニュースで捜査陣が規制線をくぐって登っていく場所)。
2、16時50分:みんなの姿もなくすぐ下から人の声も聞こえるので本格的な山を見たことがない千葉県の子が興味を示し急な尾根径を登り始める。水平距離250m(高度差100m)行った所に最初の尾根の分岐。そこから更に水平距離150m(高度差60m、合計160m)登った所に二つ目の尾根の分岐(16時40分)。そこを過ぎた辺りでさすが尾根でも薄暗くなる
3、16時00分:戻ろうと下山を始めるが様子が違う、二つ目の尾根を右に間違えたのだ(こちらの方が来た左より尾根幅が広く傾斜が緩いので下山の分岐ではベテランでも良く間違えるパターン)、視点が低いと登って来た左側の尾根のが見えない。しかし間違えた右尾根は下るほどにお椀を伏せたような急斜面になる。辺りは秋のつるべ落としでどんどん暗くなる、気は焦るばかり、そのうち尾根径は見たことのない藪に変わる、この尾根こそ遺骨収集場所の直上で水平距離50m(垂直距離50m)、おまけに沢に崖のマークもある。
4、16時10分:運動靴で落ち葉の道を歩いたらスケートをしているようなもの。沢側はすでに闇の中、谷の深さが見えないのがかえって危ない、警戒もせず何とか下ろうとの一心で突き進む。そして滑落。
5、16時15分:崖マークまで水平で50m、45度の急斜面でも樹林帯では長くとも滑落距離10~20mも滑り落ちると腕や足が灌木などに引っかかる、しかし登ろうにも腐葉土の地面は蹴っても固い登山道と違いずるずる滑るばかり、固い地面で立って歩けるのは30度がリミット、45度を越えると絶壁の斜面、すでに辺りは真っ暗、(この子の気持ちはあまりに悲しすぎる)
6,事件の2015年9月21日、平地の最低気温19.5度(気象庁)、標高650mでは4.2度低い15度、翌日雨、小さな体では濡れた衣類で体温を保つことは出来ない。
心がつぶれます
・5月4日こどもの日の前日、登山者が林道の沢の場所で頭部の骨を発見。
・少女の誕生日とDNA判定の結果日の符合。
彼女の生きた時間は短いかもしれないが『生きた証』は100年たっても、あるいは永遠にNetのどこかに残るでしょう。